「性善説と性悪説」本当の意味を間違って使っていませんか?

マイト
性善説って言葉、聞いたことある?
モナン
あるよ。人は生まれながらにして善ってやつだよね?
マイト
そう。それは半分正解で、実は本来の意味では「生まれながらに人は善だ」とだけ言ってるわけじゃないんだ。
モナン
え、そうなの?続きがあるってこと?
マイト
そういうこと。実は性悪説もよく勘違いされていて「人は生まれながらにして悪」ってだけの意味じゃないんだ
モナン
そうなんだ…続きがあるのは知らなかったよ…
マイト
じゃあ今回は意外と勘違いされやすい性善説と性悪説の本来の意味について考えていこうか
モナン
私と同じく勘違いしていたそこのアナタもぜひ本来の意味を知って友達に知識をひけらかしにいこうっ

性善説の本来の意味

「性善説」を提唱したのは孟子(もうし)という今から約2300年前の中国のえらーい哲学者です。

 

性善説の本来の意味は「人は本来、善である」なので「人の本来は善であるから、努力を惜しまなければ、立派な人間になることができる」という説です。

まあなんだか小泉進次郎みたいなこと言ってますが、これが孟子が提唱した「性善説」です。

 

孟子が「性善説」を通して言いたかったこと

小泉進次郎みたいなこと言ってなんだかよくわからないんですが、要するに孟子が言いたかったことは「人は本来、善人なので頑張って努力してたら善が開花して立派になれるよー。まあ逆に努力しなければ、人の本来がいくら善でも悪に向かう可能性があるので、そうならないように一生懸命生きろよ。まあ頑張れ」って感じです。

なので「人は本来、善なのだから適当に生きていても、俺もあの人もみんな善人なんだ。」なんて楽観的かつ意味不明な考えは全く意味が違ってきます。

 

 

こう聞くと「人は本来、善である」という言葉だけで理解していた人は「意味全然違うやん」ってなったと思います。

 

そうなんです。孟子が言いたかったことは「人は本来は善人だから信用してOK」ってことが言いたかったわけでは無く「努力してお前の秘めたる善を解放しろ、さすれば汝の明るき未来が開かれようぞ」的な感じのことが言いたかったんです。

 

性悪説の本来の意味

「性悪説」を提唱したのは荀子(じゅんし)という孟子とだいたい同じくらいの時に生きていた中国のえらーい哲学者。

 

性悪説の本来の意味は「人は本来、悪である」しかし「人の本来は悪であるから、努力を惜しまなければ、悪が善となり立派な人間になることができる」という説です。

 

ただ人は悪って言ってるだけじゃなかったんですね。

 

荀子が「性悪説」を通して言いたかったこと

要するに、荀子が言いたかったことは「人は本来、悪だから努力をせずに生きていたら悪のまま育ってしまうよー。そうなりたくなかったら自分の意志で努力をして、勉強をして、生きていく中で善を身につけたらどうよ?そしたら生まれながらに悪で弱い生き物の人間もちょっとは善を獲得して強くいきることができんじゃね?まあ頑張れ」ってことです。

 

あれっ?っと思った方。そうなんです。聡明なアナタならもう気付いたはずです。

 

性善説も性悪説も同じことを言っている

実は荀子が「性悪説」で言いたかったことは孟子の「性善説」と全く同じなんです。

人の性質のスタート地点が「善」ではじまるのか「悪」ではじまるのかだけの違いであり、結果としては「努力をしなければ人間は立派な善をもった人間にはなれない」と提唱しています。

細かく言えば、性善説は「とりあえず人は本来、善だから努力してれば開花されて立派になれるさ」ってどこか宗教染みているというか抽象的と言うか、ちょっと漠然としてるなーって印象です。

逆に性悪説は「人は本来、悪(弱い生き物)だから環境だったり、礼儀作法、学問、社会規範などを学ぶことによって人の性質である悪を封じ込めて善になっていきなはれ」って感じで、わりとしっかりとした考えで、人の本質が「善」か「悪」なのかは謎ですが、現代人が聞いても「確かに」と思える内容ではあります。まあ言ってることの結果は同じなんだけど、私的には性悪説のほうがしっくりきますね。

 

とりあえず、一言でまとめるなら「性善説」も「性悪説」も「立派になりたきゃ努力をしろ」ということを言っています。

 

これって誤用?

ということで「性善説」と「性悪説」の本来の意味の説明はここまでなんですが、現代人は性善説をビジネスなどで使う場合に「人は善人である」という意味での使い方を良くしますよね。

例えば、無人の野菜販売を「性善説に基づいた商売」だとか言ったりします。

 

これって今までの解説から考えると誤用なんじゃない?って思う人がたくさんいると思うんですが・・・結論から言うと、

 

 

誤用と言えば誤用だけど、一概には否定できない

 

まあ誤用だと言ってしまえば誤用なんですけどね。

例えば会話をしていて相手が「これって性善説だよね」って、人が善であるって意味で使ってきた場合に、相手が言いたい意図は伝わっているのに「本来の意味と違うよ」なんてツッコミをいれてしまうと嫌われるかうざい人だな~って思われちゃいますよね。

会話と言うのは伝わることに意味がるので、現代のビジネスシーンなどで「性善説」の意味がそういった意味で広く浸透しているのであれば、実はそれが正解にかわっちゃったりします。

 

なので鬼の首を取ったように相手のミスを指摘して「それ誤用だよ」なんて言っていると気づいたら周りに誰もいなくなってしまい、それこそ「性悪説」の「環境や礼儀作法、社会規範を守らずに怠った結果、悪になり、周りの人に愛想をつかされてしまった」なんて笑えない話にもなりかねないので、良い子のみんなは、こういった知識を相手にひけらかしたいときはツッコミで「誤用だよ」なんて言うのではなく、会話のネタに話したり楽しく披露していただければなと思います。

 

以上、「性善説」と「性悪説」についてでした。

 

 

マイト
いかがでしたか?使い方はどうあれ、本来の意味を知っているということが大事なのでぜひ覚えていってくださいね
モナン
なるほどー。まさか性善説も性悪説も一緒のことを言っていたとは驚きだね。でも「善」って言葉が入っている「性善説」を悪そうな顔した孟子が提唱しているのはなんだかややこしいね(笑)
マイト
確かに。顔をみてどっちがどっちを提唱してたかわからなくなったら悪い顔してる方が孟子で、悪い顔なのに「性善説」と覚えたら覚えやすいかもね
モナン
それなら覚えやすいね!テストに出るかは知らないけど、そうやって覚えておくよ
マイト
じゃあ今回はここまで
モナン
また見てね、バイバーイ
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